生きている人のためのもの、だとは思っていたけど、どうも死を確認する儀式であるように感じられた。まぁ、「僕の用はおおかた済んだから、後は見届けるだけ」などと思っていたからかもしれないが。「見届ける」って言っても、来てくれた方々の方は見ずにずっとお坊さんたちの方を見ていた。どうやらうちは臨済宗らしい。臨済宗公案の方で、曹洞宗が只管打坐の方、ってことを広辞苑を見て思い出した(これは思い出したっていえるのか?)。一応大学受験の時、日本史を勉強したんだけどなぁ。